「娘は『甲』でも『乙』でもなく美帆」 被害者が匿名の裁判、母が求めた「生きた証し」

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このページは:約 < 1 分で読めます8歳の頃の美帆さん 「父のあぐらの上にのっています。中指と薬指を入れるのが癖でした」(美帆さんの母)

神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、障害者や職員ら45人が殺傷された事件の裁判員裁判の初公判が1月8日、横浜地裁で始まった。初公判前日の7日、事件で亡くなった女性(当時19)の母親が、娘の下の名前を「美帆」と明かし、「美帆の名を覚えていてほしい」と手書きの手記と写真4枚を弁護士を通じて公開した。裁判では、被害者の呼称を匿名にする措置が取られていた。

美帆さんの母は、「会いたくて会いたくて仕方ない」と思いをつづった。名前を明かした理由を「裁判の時に『甲さん』『乙さん』と呼ばれるのは嫌だったからです。話を聞いた時にとても違和感を感じました。ちゃんと美帆という名前があるのに。どこにだしても恥ずかしくない自慢の娘でした。うちの娘は甲でも乙でもなく美帆です」と手書きの手記を寄せた。

好きな「いきものがかり」の曲がテレビCMでかかると踊り、母に歌を歌ってとお願いしてはおやつを美味しそうに食べていた。美帆さんの命は19歳で断たれた。

 

19歳の美帆さん。
「平成28年4月にやまゆり園に入所しました。敷地内の作業室に休まずに通っていました。ボールペンを組み立てるなどの作業をしていました。最後に会ったのは7月24日(日)です。もう少し髪が伸びたら晴れ着を着て一緒に写真を撮るのが楽しみでした」(美帆さんの母)

 

代理人弁護士事務所によると、これまでこの遺族が氏名を明かさなかったのは、メディアの集中取材や、何らかの危害を加えられるのではという恐れがあったためだという。弁護士は「障害のことを知られたくないから匿名にしたのではない」とした上で「『甲A』には名前も人生もあるのだと示す必要があり、なによりご遺族として美帆さんが生きていた証を残したく公開します」としている。

公開が原則の裁判でも匿名になったのは、被害者の氏名など個人が特定される情報について裁判所が明らかにしないと決定したからだ。

40人超の被害者。亡くなった19人は甲A、甲B……と呼ばれ、負傷者は乙丙とアルファベットの組み合わせになった。

匿名での措置は、実名の公表を望まない遺族に対する配慮なのではないかとされる。関係者によると、その背景には、障害者に対する差別の意識を恐れたり、周辺に何らかの悪影響があることを恐れたりする心情があるからだという。

 

娘は「甲」ではなく「美帆」

【美帆さんの母の手記(全文)】

大好きだった娘に会えなくなって3年が経ちました。時間が経つほどに会いたい思いは強くなるばかりです。会いたくて会いたくて仕方ありません。

 本当に笑顔が素敵でかわいくてしかたがない自慢の娘でした。アンパンマン、トーマス、ミッフィー、ピングー等(など)のキャラクターが大好きでした。

 音楽も好きでよく「いきものがかり」を聞いていました。特に「じょいふる」が好きでポッキーのCMで流れるとリビングの決まった場所でノリノリで踊っていたのが今でも目に浮かびます。

 電車が好きで電車の絵本を持ってきては、指さして「名前を言って」という要求をしていました。よく指さしていたのは、特急スペーシアと京浜東北線でした。

 ジブリのビデオを見るのも好きでした。特にお気に入りは、「魔女の宅急便」と「天空の城ラピュタ」。他のビデオも並べて、順番に見ていました。

 自閉症の人は社会性がないといいますが、娘はきちんと外と家の区別をしていて、大きな音が苦手でしたが、学校ではお姉さん顔をしてがんばっていたようでした。

 外では、大人のお姉さん風でしたが、家では甘ったれの末娘でした。児童寮に入っていた時、一時帰宅すると最初のうちは「帰らない、家にいる」と帰るのを拒否していました。

 写真を見せて「寮に帰るよ」と声かけすると、一応車に乗り寮の駐車場に着くものの車からは出てきません。

 「帰らない」と強く態度で表していました。パニックをおこして大変だったけれどうれしい気持ちもありました。2年くらいは続いていましたが、それ以降は自分で寮で生活するということがわかってきたようで、リュックをしょって泣かずに帰っていくようになりました。親としてはさびしい気持ちもありましたが、お姉さんになったなあといつも思っていました。

 月1くらいで会いに行き、コンビニでおやつと飲み物を買い一緒にお庭で食べるのですが、食べおわると部屋にもどることがわかっていて、食べている間中「歌をうたって」のお願いをされ、よくアンパンマンの「ゆうきりんりん」とちびまる子ちゃんのうた、犬のおまわりさん等、うたっていました。私のうたをBGMにしておやつをおいしそうに食べていました。

 自分の部屋にもどる時も「またね」と手を振ると自分の腰あたりでバイバイと手を振ってくれていました。

 泣きもせず、後おいもせず部屋に戻っていく後ろ姿を見ているとずいぶん大人になったなと思っていました。

 美帆はこうして私がいなくなっても寮でこんなふうに生きていくんだなと思っていました。

 人と仲よくなるのが上手で、人に頼ることも上手でしたので職員さんたちに見守られながら生きていくのだなと思っていました。

 言葉はありませんでしたが、人の心をつかむのが上手で何気にすーっと人の横に近づいていって前から知り合いのように接していました。皆が美帆にやさしく接してくれたので人が大好きでした。人にくっついていると安心しているようでした。

 美帆は一生懸命生きていました。その証しを残したいと思います。こわい人が他にもいるといけないので住所や姓は出せませんが、美帆の名を覚えていてほしいです。

 どうして今、名前を公表したかというと、裁判の時に「甲さん」「乙さん」と呼ばれるのは嫌だったからです。話を聞いた時にとても違和感を感じました。

 とても「甲さん」「乙さん」と呼ばれることは納得いきませんでした。ちゃんと美帆という名前があるのに。

 どこにだしても恥ずかしくない自慢の娘でした。

 家の娘は甲でも乙でもなく美帆です。

 この裁判では犯人の量刑を決めるだけでなく社会全体でもこのような悲しい事件が二度とおこらない世の中にするにはどうしたらいいか議論して考えて頂きたいと思います。

 障害者やその家族が不安なく落ち着いて生活できる国になってほしいと願っています。

 障害者が安心して暮らせる社会こそが健常者も幸せな社会だと思います。

 2020年1月8日

19才女性 美帆の母

 美帆さんの母が寄せた文と美帆さんの写真美帆さんの母が寄せた文章と美帆さんの写真

Source: ハフィントンポスト

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